大子町大子は茨城県の北端、八溝山地と久慈山地に挟まれた大子盆地の中央、南流する久慈川の中流域、同川の支流押川の下流域に位置する。 江戸期はじめは佐竹氏領、慶長14年(1609)からは水戸藩領。村高は寛永12年(1635)の「水戸領郷高帳」では372石余、「元禄郷帳」703石余、「天保郷帳」783石余。「水府誌料」によると家数90、村の規模は東西17町20間・南北35町24間、同署によると享和3年(1803)当村に水戸藩の陣屋が置かれた。 大子は水戸と塙を結ぶ南郷街道と馬頭ー黒羽街道との分岐点にあたり、交通の要衝であったため宿駅が置かれたが、南郷街道には久慈川,八溝川の渓谷を通る難所であることから,公的に利用されることなく,主に商用や一般旅行者の利用が多かった。 また、周辺の物資の集散地であった。春・夏の水量の多い季節には久慈川に舟運がひらけ、下野宮・大子・頃藤には河岸が設けられて諸産物や消費物資が運ばれた。 江戸中期の記録によると、米・稗・俵物・煙草・蒟蒻玉・地塩・砥石・紙・綿・茶・大豆・小豆などあらゆるものが運ばれていた。そして明治以降は木材の集散地として発展した。 市は毎月16日に開かれる大子村市のほかに大市があって、7月11日・11月11日・12月26日に開かれ、これを「三市」とも呼んだ。 古い町並は南北に走る旧南郷街道沿いや、東西の馬頭から黒羽街道への道筋に展開している。 伝統的な建物が点在する町並みだが、それも数が少ないなあと思いながら歩いていると、平入り・切妻造り・土蔵造りの店舗建物、黒漆喰塗込めの見事な建物が見られた(トップの写真)ので、まあいいかと町並探索を終えた。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和58年 日本の地名 茨城県 平凡社 下中邦彦 1982年 |
大子の町並 |
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