安中市松井田町横川は妙義山の北、碓氷川を隔て碓氷川上流左岸に位置し、中山道沿いの集落である。 江戸期を通じて安中藩領。村高は「寛文郷帳」で231石余。「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」は共に249石余。享和元年(1801)の村明細帳によると、村内の中山道の長さは21町31間・道幅2間半、家数84。農間稼ぎは男は坂本宿への駄賃馬または薪取り、女は絹・麻布織りで助郷は坂本宿の定助郷を勤める。 元和9年(1623)に横川村の西端に碓氷関所が置かれ、出女・入り鉄砲を取締った。この関所の設置により横川村は交通上の要所となり、人家の点在する一小集落から130余戸の村落へ発展した。幕末の改革組合村高帳では松井田宿寄場組合に属し、高231石余、家数76とある。 明治10年頃の家数71・人数308。生業は農業46戸・工業4戸・炭焼業戸5(男子)、養蚕業57人(女子)で炭2000俵、繭300貫を産していた(郡村誌)。 横川村の町場は賑わっていたと見え、天保9年(1838)には横川村の者が旅人を泊めたり、牛馬宿を営んだとして坂本宿問屋から訴えられている。 明治10年頃の村況から多くの家で養蚕業が行われていたようだが、大型家屋が少し残っている程度で、養蚕集落としての名残が少なく、街道筋の町並との印象が強い。それでもせがい造りの大型家屋が街道筋に点在しているのは養蚕時代の名残でしょう。 そんな中で集落中央辺り北側に茶屋本陣武井家が整備されて残っていた。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和63年 群馬県の地名 平凡社 平凡社地方資料センター 1987年 |
松井田町横川にある碓氷関所 |
松井田町横川の町並 |
松井田町横川の町並 |
松井田町横川の町並 |
松井田町横川の横川茶屋本陣の武井家 |
松井田町横川の町並 |
松井田町横川の町並 |
松井田町横川の町並 |
松井田町横川の町並 |
松井田町横川の町並 |