安中市松井田町坂本は群馬県南西部、碓氷川最上流域に位置し、中山道の碓氷峠を控えた宿場町である。 江戸期を通じて安中藩領。村高は「寛文郷帳」で268石余、「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに303石余。旧東山道沿いの集落を、もともと家並みの無い原野に移住させ、他の藩からも移住者を募って、寛永2年(1625)地割が完成し、中山道の宿場としての形態も整ったと云う。 坂本宿には40藩程の大名の通行や、例幣使や大名息女など多くの通行があったが、宿としては規定の宿泊代しか取れないうえに、出迎え・見送り・献上物・道普請・宿内清掃・警備・食品4・物資の購入・荷物の輸送・伝馬の触れなど苦労が多かった。 道の中央に4尺幅の水路があり、家並みは南側に79軒、北側に82軒の計161軒が並んでいた。宿内は上・中・下に分かれており、中宿の南側に本陣2軒と北側に脇本陣4軒があった。文政8年(1825)には旅籠屋が大15軒・中7軒・小33軒あり、他に酒造屋1・酒屋・風呂屋・女郎屋・茶屋各6軒、炭焼き・木挽各3軒、米屋・水車・医者・あんま・表具師・魚屋・豆腐屋・材木屋・大工・下駄屋・呉服屋・仕立屋などの各種職業がいた。 幕末の改革組合村高帳では、松井田宿寄場組合に属し、高268石余、家数259。 旧中山道の道筋がそのまま国道18号線になっている。当然道路拡張で多くの家屋が移転や移動・取り壊しなどが行われたのであろう。古い伝統的な家屋はあまり残っていない。明治10年頃の生業は農・桑業180人(男子)、養蚕業130人(女子)とあるから、養蚕農家のせがい造りの大型家屋が並んでいたと想像されるが、今、町並みには空気抜きを残した家、卯建を揚げた家が僅かに見られる程度だった。 そんな中でも、米屋・俵屋などの旧屋号を表示している家が見られたのは微笑ましく思えた。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和63年 群馬県の地名 平凡社 平凡社地方資料センター 1987年 |
松井田町坂本の町並 |
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