安中市松井田町松井田は利根川の支流碓氷川上流左岸に位置する、中山道の宿場町である。 江戸期を通じて安中藩領。 古代東山道はこの松井田丘陵の北側を通っていたと考えられるが、松井田庄と呼ばれた古くからの集落に対し、江戸はじめから町並み整備が進められ、宝永年間(1704〜11)までに中山道の宿場としての機能が整えられた。 宿内往還の長さ15町38間、道幅3間半〜6間半。本陣2・脇本陣2・問屋場2・旅籠25(大5・中14・小6)。なお、本陣の両家が問屋場と村名主を兼ねていた。 松井田宿は諸大名や公家たちの休泊は比較的少なかったが、信州諸大名からの廻米の継立てや払米の取引など、物資の中継地として重要な機能を果たした。即ち多くの藩の廻米が高崎倉賀野や江戸ま運ばれることなく、この地の商人に売却されていた。 寛政12年(1800)の家数は250。幕末の改革組合村高帳では35ヶ村組合の寄場村となっており、高363石余、家数257・人数995。明治10年頃の家数339・人数1051。生業は農業126戸・商業160戸・工業53戸・医者2戸(以上男子)、養蚕業200人・縫織業8人(以上女子)で、生糸63貫410匁を産していた。 また、新堀村は松井田宿に続く京都側の村で、寛文4年(1664)の屋敷帳では家数152。また、寛延2年(1749)の村差出帳では家数204とある。幕末の改革組合村高帳では松井田宿寄場組合に属し、高607石余、家数210とあり、助郷は隣接する松井田宿へ出役していた。 訪ねた当日は、地元の小学生による鼓笛隊の行進があり、多くの方が沿道に出て、応援・見物しておられた。町並は養蚕が盛んなときの建てられた大型の出桁造りの家屋が平入りで並んでいたり、商家の建物と思われる大型の家には土蔵も備わっていた。 現在の中山道の国道18号線は旧松井田宿の北をバイパスとして通っているが、旧中山道が県道33号線としてかなり広い道幅になっている。何時か道路の拡張が行われたのだろう。そういえば古い家屋は旧街道筋の北側に多いように思うから、南側を広げたのだろう。 かっての幹線道路の中山道。本陣や脇本陣跡の表示などをして頂ければ、訪ねる者にはありがたいのだが。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和63年 群馬県の地名 平凡社 平凡社地方資料センター 1987年 |
松井田町新堀の町並 |
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松井田町松井田の町並 |
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