安中市板鼻の町並み
板鼻1丁目・板鼻2丁目
地図


板鼻2丁目の町並

 安中市板鼻は群馬県の南西部、利根川の支流、碓氷川の下流左岸、高崎市街から西へ約7km程の所に位置する。中山道の宿場町で江戸日本橋から14番目の宿駅で、中山道上州七宿のうちで一番栄えたと云われ、皇女和宮下向の際に宿泊された本陣木島家跡に現板鼻公民館が建っている。
江戸のはじめは前橋藩領、延享4年(1747)から幕府領で明治に至る。村高は「天保郷帳」では1,378石余、「旧高旧領」では1,375石余。
寛政3年(1791)の「御用留」によると宿高は1,298石余、宿内間数9町14間、家数232。本陣1・脇本陣1、問屋場2(一か月15日替わりで二人が勤める)、旅籠屋43で他に茶屋15。
嘉永5年(1852)の宿明細帳によると宿内往還は東の八幡村から西の中宿村まで25町10間で、うち町並は10町30間、総家数347・人数1,549。本陣1・脇本陣1・問屋場は上番と下番の2ヶ所で毎月上15日は上番、下15日は下番が勤めた。
天保13年(1842)の調査によると、旅籠屋48軒のうち41軒が飯盛女を置き、下女107人・飯盛女82人を擁したという。中山道の碓氷川を越える所がこの板鼻宿の西にあり、増水すると川留めになり、多数の旅人が滞留し宿の繁栄になったとも云われている。
天保14年(1843)の中山道宿村大慨帳によると、宿内町並10町30間、家数312、人数1,422、本陣1、脇本陣1、旅籠屋54(大14・中18・小22)とある。
いま、町並を歩くと、上州最大の宿場町だった名残はあまり残っておらない。脇本陣跡が郵便局になっている。江戸末期から明治期にかけて盛んだった大型の養蚕家屋が比較的多く残っている。街道に沿って、平入り妻入りの大型家屋が並んでいて、中には養蚕時代の空気抜きの小屋根を残した家も散見できる町並だった。

町並み指数  30
参考文献
   角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  昭和63年
   群馬県の地名  平凡社  平凡社地方資料センター  1987年


板鼻1丁目の町並

板鼻1丁目の町並

板鼻2丁目の町並

板鼻2丁目の町並

板鼻2丁目の町並

板鼻2丁目の町並

板鼻2丁目の町並

板鼻2丁目の町並
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