安中市安中は碓氷川と支流九十九川に挟まれた舌状台地上に位置する中山道の宿場町である。 江戸時代を通じて安中藩領。 慶長年間(1596〜1615)中山道の伝馬制度の整備に伴い安中宿が定められた。永禄2年(1559)安中越前守忠政が当地に城を築き城下町も整備した。慶長19年(1614)伊井直政の長男直勝が江州佐和山(現彦根市)から3万石で入封して城を再建し、上野尻村・下野尻村・谷津村の中山道沿いに西から上野尻・谷津・伝馬・下野尻の町並を建て、伝馬町を中山道安中宿として整備した。以来、安中宿・上野尻村・下野尻村・谷津村は城下四町とも称された。 宿内では2・7の日の六斎市が立ち、絹・麻・木綿・古着・小間物・塩・茶・穀物が取引されていた。天保13年(1842)の町並絵図をみると、本陣(問屋名主兼帯)1・脇本陣2・旅籠屋19・木賃宿2・農業15・居酒屋5・煮売5・荒物5・古着4・煙草2・穀屋2・髪結2・薬種3・菓子3などあらゆる職種が存在していた。 中山道の各宿の人馬役は50人・50疋が御定めだったが、安中宿は無高弱窮の宿駅ということで、25人・25疋の軽減を受けた時期が長かった。 天保14年(1843)の安中宿書上には家数64・人数348で、他に新町に20軒・83人と記されている。 「郡村誌」によると家数361(うち士族190)・人数1,378、生業は農桑業72戸・工業7戸・商業37戸(男子)、織物・養蚕業127人(女子)。産物は蚕繭72石・生糸65貫・蚕種紙450枚。 今町並みをあるくと、旧中山道に沿って、土蔵造りの商家の建物が点在している。養蚕農家の大型家屋が殆ど見られない。安中宿としての機能は劣っていたが、安中城下として在郷町的な性格が大きかったように思える町並みであった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和63年 群馬県の地名 平凡社 平凡社地方資料センター 1987年 |
安中3丁目の町並 |
安中3丁目の町並 |
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