若狭町常神の町並み  
常神
地図


常神の町並

 常神の開発は古く、平安末期から鎌倉初期には、もう伊香氏の領有が認められていた。
御賀尾浦(神子浦)との間に中世・近世を通じてしばしば網場をめぐる相論が展開されているが、御賀尾浦(神子浦)と共に常神浦は若狭漁業の先進地であった。
慶長7年(1602)の若狭国浦々漁師船等取調帳によると46艘の舟があり、二張の鯖・鰯網を有していた。またテクリ網3、ハマチ網6もあった。耕地は狭小であったので、殆どは漁業で生計をたてていた。
文化4年(1807)の家数43・人数214。明治24年の家数44・人数245。明治42年頃には殆どの家が漁業に従事していた。その後の家数・人数は、大正9年48・227。昭和10年には46・278。昭和30年には49・303と江戸時代とあまり変化がないのは土地が狭小のために人口が増えないためと思われる。(参考までに平成21年4月1日現在で世帯数41・人口163)
常神半島は、かって交通手段が漁船だけで、陸の孤島であったが、昭和43年断崖を切り開いて道路が完成した。
今集落は全戸民宿といって良いほどで、どの家にも民宿の看板が揚がっている。夏の海水浴客の相手の民宿もあるだろうが、殆どは漁師民宿で、釣り人や魚を食べに来る人相手の民宿と思われる。(インターネットで検索すると、41軒中30軒の民宿が登録されていた)
町並みは漁師町そのもので、軒を突き合わせ細い路地にそって民宿の看板が揚がり、漁港も集落も町中も活気溢れている珍しい所だった。 
町並み指数  40
参考文献
   福井県の歴史散歩  山川出版社  福井県の歴史散歩編纂委員会  1995年
   角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  1989年  


常神の町並

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