能登半島の外浦沿岸には間垣といわれる竹の囲いで冬の季節風を防いでいる所が多く有ります。 この輪島市大沢町も海岸沿いは全て3m以上の間垣と呼ばれる竹囲いで囲われている集落です。 江戸期を通じて加賀藩領で寛永元年()に上大沢と下大沢に分離された。大沢村は下大沢と呼ばれていました。承応3年(1654)の村御印から当地では活発に漁業が行われていたことが伺える。又海運も盛んで、客船帳に当村の田中市助・彦左衛門・中橋屋伊右衛門の名が見える。港口は約50間で50石から150石積み船が15艘停泊できた。 宝暦3年(1753)大火により家数93戸のうち49戸を焼失したのを始め、宝暦8年(1757)57戸、明和2年(1765)55戸、明和8年(1771)54戸、安永6年(1777)35戸、寛政10年(1798)24戸、天保9年(1838)58戸、明治29年47戸、明治34年36戸と度々大火災が発生し、その度に集落の半数近くを焼失している。 明治22年の家数120・人数565。明治23年には巡査駐在所が設置されるなど、この地方の政治・経済・文化の中心であった。 この地を訪ねたのは、間垣と云われる竹囲いを見るためで、警察官駐在所も郵便局も旅館も酒屋も全てこの間垣の中にあった。 冬の日本海の強風から家屋を守るための間垣は高さは約3m位でニガ竹で作られています。集落内を歩いていて、この間垣は集落総出で維持するのですかと聞くと、海岸に面した家の負担で個人的に作っているとのことで、海岸から2軒目の家は何の負担も間垣の維持も関係ないとのことだった。 石川県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1991年 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和56年 |
大沢町の町並 |
大沢町の町並 |
大沢町の町並 |
大沢町の町並 |
大沢町の町並 |
大沢町の町並(駐在所も間垣の中) |
大沢町の町並(郵便局) |
大沢町の警察官駐在所 |
大沢町の町並 |
大沢町の町並 |