能登半島北西岸、皆月湾北部の海岸線に位置し、中央部に皆月川が流れる。 江戸期を通じて加賀藩領。寛文10年(1670)の村御印では村高141石・猟船櫂役2貫160匁・外海船櫂役154匁とあり、漁業主体の集落であったようだ。家数は亨保20年(1735)に263とある。元禄15年(1702)の皆月村の家数303。多くは漁業に従事し、商家もあった。古くから皆月湾近海で捕れる魚介類の集積地で魚肝煎役がおり、主要な港として栄えていた。北前船の寄港地であり、北前船の船主もこの地にいたようだ。明治16年の家数214・人数964とある。 「七浦村志」によると、「本村海岸の各集落は古来より明治初年に至るまで、、船乗業に従事する者甚だ多く、幕末に於いては皆月のみにて水夫80人を数え、大阪・輪島等に出て大船の船長となれる者数十人あり」とある。明治初年の特産物は魚・炭・薪・塩・ローソク等であった。 今町並を訪ねると、漁師町そのものの様相ですが、殆ど人を見かけない、横張り板囲いの家屋が平入りで、妻入りで建ち並んでいる。平屋であったり、中2階建て・2階建てと色々だが、真っ黒の桟瓦で葺かれた家屋は何となく侘しく感じる。中には立派な袖壁を備えた大型の家屋もあり、北前船の全盛時代の船主の家屋だったのでしょう 路地で洗い物をされていたおばあさんに話しかけると、この辺りの方は全て年金暮らし、年寄りと猫しか住んでいないものと云われていた。 だが町並は漁師町としては立派な集落で見ごたえある町並みだった。港を見ても小さな漁船が僅かに停泊していただけだった。 石川県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1991年 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和56年 |
門前町皆月の町並 |
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