能登半島は約2年前から訪ねようと計画していたが、延び延びになり能登半島地震で、門前町黒島が大きな打撃を受けたと知り、また訪ねるのが延びてしまい、今日になったのですが、地震の被害は大きかったようで、一番見どころの角海家は解体修復の最中だった。 黒島は貞亨元年(1684)から幕府領、以後元禄2年(1689)から同8年(1695)まで鳥居忠英領、同11年(1698)から同13年(1700)の水野勝長領の時代以外は幕府領。亨保7年(1722)から幕末まで加賀藩領預地。 黒島の廻船業は元亀〜天正(1570〜92)の頃、番匠屋善右衛門が加賀一向一揆の用米を運んだのに始ると伝える。その後、総持寺の御用を勤めた森岡屋や浜岡屋・中屋・角屋のどの廻船業者が北前船数十艘をもち活躍した。家数も貞亨4年(1687)の家数139・人数800、天保7年(1836)に家数338、そして最盛期の文化〜文政(1804〜30)頃は村内の家数約400もあったという。しかし廻船業は道路・鉄道の発達の中、明治中期で衰退してしまった。明治4年の家数367、同16年の家数369・人数1,485。明治22年の家数369・人数1,189。大正9年には家数283・人数1,275となっている。 明治中期以降廻船業の衰退で、北海道への移住や船員として出稼ぎに出るものが多くなった結果だ。 今、町並は能登半島地震の影響で、修復されて新しくなった家屋や、取り壊されたままの空き地、修復中のものなど、復興したとはいえ随分痛々しい姿も残っていた。そんな中、当時の廻船問屋角屋の角海家住宅が残っている。先日の能登半島地震で被害にあい、修復中であった。 石川県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1991年 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和56年 |
門前町黒島の町並 |
門前町黒島の町並 |
門前町黒島の角海家(修理中) |
門前町黒島の角海家(修理中) |
門前町黒島の町並 |
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