敦賀市横浜・杉津は 敦賀湾の東海岸の、集落の西を敦賀湾に面して位置する。 江戸期は初め福井藩領、寛永元年(1624)小浜藩領、天和2年(1682)鞠山藩領(まるやま)、明治3年小浜藩領。村高は「正保郷帳」では杉津151石余・横浜241石余、「元禄郷帳」でも同じく151石余・241石余と変わらず、「天保郷帳」「旧高旧領」ではともに157石余・246石余。 享保12年(1727)では杉津の家数73・人数399、牛21、舟3、塩かま屋6。横浜の家数88・人数433、牛22、舟1、塩かま屋10とある。 「滋賀県物産誌」によると、杉津村の明治11年の家数76・人数414、牛4。横浜村の明治11年の家数89・人数370で、両村とも享保年代と比べて製塩が廃されていて、タモの木に加えて桐実・蜜柑・桑などの暖地性樹木栽培が行われ、製炭も行われていた。 漁業は殆ど行われていないようで、純農山村集落で一部製塩が行われていた。 横浜集落が北にありその南に杉津集落がある。その間の海岸に岬になって岡崎山が海に突き出している。両集落は耕地を接して繋がっていて同じ集落とも思えるようだ。 両集落とも農山村集落で漁業を生業としていないようにみえる。でも、杉津・横浜集落とも小さな漁港も海水浴場もあったので、少しは漁業者がいるのだろう。 両集落とも細い路地道が集落内を不規則に繋いでいて、路地道の両側には板張り家屋が並んでいた。 YouTube 杉津 YouTube 横浜 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 1989年 福井県の地名 平凡社 下中邦彦 1981年 |
横浜の町並 |
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杉津の町並 |
杉津の町並 |
杉津の町並 |
杉津の町並 |
杉津の町並 |
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