高岡市福岡町福岡の町並み
福岡町福岡
地図


福岡町福岡の町並

 高岡市福岡町福岡は庄川と小矢部川の複合扇状地である砺波平野の末端にあたり、早くから小矢部川の水運が発達していた。
北陸街道ははじめ、今石動から戸出を通り富山に通じていたが、慶長14年(1609)に高岡城が出来てからは、今石動から高岡を経て富山に通ずるようになった。
今石動と高岡間の北陸街道に沿う稗島・四十万両村が合併して福岡町ができ、参勤交代時の休憩所が設けられた。承応2年には金沢藩の米蔵が置かれた。
福岡町を中心とした小矢部川下流沿岸の湿地帯は菅笠生産で有名である。元禄元年(1688)既に越後・上方に販売していた。天保14年(1843)の書上げによると福岡町を中心として44ヶ村で100町歩余りにスゲが栽培されている。
町家は北陸街道を挟んで両側に並び、享保5年(1720)の家数は100、天明5年(1785)117軒、慶応元年(1865)152軒であった。
文化7年(1810)の福岡町の職業を見ると、菅笠仲買14軒・菅笠仕入人11軒・米粃屋5軒・休茶屋4軒・油振売3・質屋2・豆腐屋2、そのほかの職業があり、慶応元年(1865)には90軒もの笠買いなどの小売人がいた。
福岡町は小矢部川を利用した舟運も盛んで、菅笠などの産物を伏木に川下げされ移出されていた。
明治に入ってからも菅笠生産は盛んで、明治43年には菅笠業者60人もいて、九州や関東地方に移出されていた。小矢部川の舟運も盛んであったが、明治31年に国鉄北陸本線が金沢より当地を通り高岡まで開通し、大正期にはいって自動車も発達すると、舟運は衰退していった。
町並みは旧北陸街道に沿って展開していた。この辺り独特の袖壁を備えて、一階の軒よりも2階の庇が張り出している家が連続して並んでいる見事な町並みを展開していた。
そしてもう一つの特徴に平入り民家の入口が開放的に開け放しである。道路に面した入口を扉などで閉めていないので、土間が丸見えである。夜は閉めるのであろうか。閉める扉らしきものが見当たらない。多分二階の庇の出っ張ったのと共に雪対策の一つと思われる。
町並み指数 50
参考文献
  角川日本地名大事典  角川書店  角川日本地名大事典編纂委員会  昭和54年
  富山県の地名  平凡社  (有)平凡社地方資料センター  1994年


福岡町福岡の町並

福岡町福岡の町並

福岡町福岡の町並

福岡町福岡の町並

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福岡町福岡の町並

福岡町福岡の町並

福岡町福岡の民家の入口
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