この高浜町和田は関西人にとっては有名な海水浴場である。 和田村には江戸期大飯郡内を支配する陣屋がおかれていて、和田と小浜との間には古くより海路で結ばれていた。中世から和田通船の権利を桑村氏が保持し、江戸時代を通じてその権利を保持していたことは、それだけ和田が繁栄していた証である。 近世初頭から製塩が行われ、和田村は大飯郡内の一中心地をなしていた。市瀬家文章によると、近世前期に60余人の塩師がいた事が記載されている。また「滋賀県物産誌」によれば戸数315の内農業200、漁業・運送業など115、人数1,473とある 明治に入り和田は米作を中心に漁業専業者や商工業者もおり、「和田村誌」によれば、交通の要路にあたり海陸の連結基点になっているため商業も盛んとなりとある。 明治24年の家数350・人数1,626であった。 今町並を歩くと、旧丹後街道に沿ってはごく一部で商業が営まれているが、殆どは農家集落で、一部の家屋で夏の海水浴客相手の民宿を営んでおられる。明治期の養蚕農家の名残でしょうか、大型家屋に排気のための小屋根を付けた家も多く散見できる。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 1989年 福井県の地名 平凡社 下中邦彦 1981年 |
和田の町並 |
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