埴生は北陸街道の今石動宿の南西約1kmの所にあり、北陸街道沿いの宿場町であった。江戸時代を通じて加賀藩領。 越中(富山県)と加賀(石川県)の国境の倶梨伽羅(くりから)峠の越中側山麓に位置し、街道沿いの集落で多くの旅人が通った所だったので、休み茶屋・飲食店・商家などが並び賑わっていたが、正式な宿場町で無かった。 でも、寛永15年(1638)今石動宿の負担軽減のため加宿に指定され、毎月11日〜13日、21〜23日の6日間宿役を負担したが、今石動宿に劣らず繁栄した。 家数は元禄3年(1690)78。明和年中(1764〜72)約60。天保8年(1837)138。明治2年125・人数774であった。 天保期(1830〜44)には木綿・糸挽が盛んとなり、幕末期には茶碗・香炉・小火鉢などの工芸品を竹亭焼と称して十村太田家が造っていた。この地からの北海道移住が盛んで、明治25年〜大正元年まで139戸が移住している。 古い町並みは護国八幡宮を中心として旧北陸街道に沿って展開している。東から進んできた街道が、護国八幡宮前で直角に左に折れ南に進む。この地の家並みは高岡などに多い2階の屋根が張り出した出桁造りと、金沢辺りの太い梁の見えない瀟洒な造りの家屋が入り混じっている。矢張り加賀と越中の国境の町が家造りにも如実に表れている。 富山県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1994年 角川日本地名大事典 角川書店 角川日本地名大事典編纂委員会 昭和54年 |
埴生の町並 |
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