福島は手取川河口南方に位置する。集落はもと低湿地にあったが度々水害を受け、島のように残っていた現在地に移動したと伝える。その際今後の幸福を願い福島と名づけたという。 天正3年(1575)織田信長軍が加賀へ侵攻したときに、信長勢に降伏した村々の中に福島が挙げられている。 江戸時代を通じて加賀藩領であった。弘化3年(1846)の百姓数58とある。「皇国地誌」によれば明治9年の家数142・人数730で農業のほかに、染物・酒造業・味噌醤油醸造業・豆腐製造業・麺製造業・鍛冶屋・大工・飲食店など26種もの兼業があり、商業の一中心地であった。 産物の主なものとして、米・大麦・実綿・麻・菜種・桑葉・繭・生糸・木綿などがあった。 明治22年の家数151・人数805。明治時代には養蚕業が盛んになり、大正7年には加賀蚕種製造株式会社を創設、蚕種3万枚を産し、県内のみならず、富山・長野へも販路を広げた。 旧寺井町にJR寺井駅が在るものと思い、資料などを探したが見つからない。改めて地図を見ると、JR寺井駅は旧寺井町では無く、旧根上町にある。これはどうしてだと調べた。 明治31年、小松〜金沢間の北陸線開通に際し、火事が起こると鉄道を敬遠した寺井だが、その後小松〜美川間に中間駅の設置を懇願し、旧寺井町の土地と建設費負担で大正元年にその設置をみた。ところが寺井町の費用負担だったので、駅名は「寺井」と決定したことから、駅の所在する根上町との間に紛議が続いたがそのまま今に至っているのだ。 古い町並はかっての湊往来に沿って展開している。北の吉原町・南の大成町に続く街村から発展したもので、小さな湾曲を繰り返しながら北東に延びている。町並と云えるほど家屋が連なっていないが、赤褐色の桟瓦葺き2階建て妻入り板張りの建物が連続している所もあり、旧街道筋と感じる町並である。この辺りの漁村集落と同じように横に張られた板張りは、砂丘を通じて海が近いのだなあと実感できる。 石川県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1991年 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和56年 |
福島町の町並 |
福島町の町並 |
福島町の町並 |
福島町の町並 |
福島町の町並 |
福島町の町並 |