富山湾に面し、山田川河口に位置する旧鵜川村は村内を内浦街道が通り、地先の海は良い漁場で定置網や釣漁が盛んであった。 江戸時代の「能登名跡志」には家数二百軒計、町作りの能き所也。余程の舟出入して商家・猟師あり、繁盛成所也」と記されている。 寛文10年(1670)の村御印では外海船櫂役168匁、猟船櫂役237匁とあるから、廻船や漁に頼った集落でなく農業を主体とした集落であったようだ。 寛文5年(1665)当時、4間・10間の加賀藩塩蔵があった。元禄(1688〜1704)頃には製塩が行われていた。元禄3年(1690)の家数161とある。明治6年の家数274・人数1,099とある。 文政・天保・慶応と大火に見舞われ多大の被害にあっているため、当地の資料に乏しい。 古い町並は極僅かだが、旧内浦街道に沿って展開していた。特に自然湾曲して旧街道に沿った清酒谷泉の醸造元鶴野酒造の辺りが一番の見所だった。 石川県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1991年 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和56年 |
鵜川の町並 |
鵜川の町並 |
鵜川の町並 |
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鵜川の造り酒屋 |
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