能登町宇出津の町並み
宇出津
地図


宇出津の町並
 宇出津(うしつ)は富山湾に面し、内浦街道の宿駅で、商業・漁業で栄えて町。北西に湾入りする宇出津湾沿いに馬蹄形状に町並は展開し、奥能登の商工業・漁業の中心地として栄えていた。
江戸期を通じて加賀藩領。寛文10年(1670)の村御印では「宇出津町」と記し、町立てとして扱われていて、外海船櫂役2貫157匁とあることから、廻船業も大規模に行われていた。正保4年(1647)の三州道程大概に「200間。深さ7尋・8尋。大船自由出入り仕候。北国にての大湊にて御座候」と記されている。北前船の寄港地でもあり、問屋株を持つ廻船業者も多数居た。
元和3年(1617)には宇出津湾最奥部が埋め立てられ、宇出津新町として商業・漁業で賑わう町つくりが行われたが、宇出津として一括で扱われていた。
「能登名跡」には「宇出津は本町・新町・新村つづきありて、其の支配は共みな宇出津と云り。(中略)「次第に繁盛して国中一の四十物所にて、毎年春鯨など取り大猟至極の地也。其外緒商人あり。間には数百艘不絶。不断に市をなし、夏冬共ににぎはしきこと国府にまされり」と繁栄ぶりが記されている。ブリ網のほか、鯨漁も行われていた。能登一国山奉行・塩方代官・山廻役などの藩の地方支配機関や収納蔵が置かれ、幕末には海防のため台場が設置された。
宝暦8年(1758)には宇出津の家数345・人数1,678。宇出津新町の家数89・人数527とあり、製塩も行われていたようだ。慶応3年(1867)の宇出津の家数588・人数2,710。
今でも町の中心は旧宇出津新町の埋立地辺りですが、古い町並は湾の西側の道に沿って展開しています。かっての繁栄の証でしょうか、平入り中2階建て、切り妻造りで袖壁をもった伝統的な様式の重厚な商家の建物が連なって残っています。
そして道の両端の石畳とカラー舗装による町並表現は町並にマッチしていると思いました。
町並み指数 40
参考文献
   石川県の地名  平凡社  (有)平凡社地方資料センター  1991年
   角川日本地名大辞典  角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和56年


宇出津の町並

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