松波は飯田湾に面して松波川下流平野に位置し内浦街道沿いの集落である。この地方の行政・経済・文化の中心地である。 戦国期には松波城が築かれ「能登志徴」に「松波家の城下にて」とあり、その規模などは不詳ながら古くからの中核的地域であった。 江戸時代を通じて加賀藩領。寛文10年(1670)村御印で猟船櫂役257匁とあるから、少しは漁をしていたようだ。安永9年(1780)の百姓家数160で十村役・塩相見役・収納蔵・作食倉・塩蔵があった。文政5年(1822)当時は家数343であった。商家もあったようで四十物問屋(干物)が主だった。造り酒屋も130石の又右衛門を始め60石二人、50石・40石・33石各一人がいた。 この地域は農閑期に金沢や関西各地に杜氏(酒造労働者)として出稼ぎするものが多く、すでに江戸後期から能登杜氏が出稼ぎを行っていた。 松波は今でもこの地域の行政・経済・文化の中心地で一部商店街も見られますが、古くからの町並そのままの状態が保たれているようだった。 石川県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1991年 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和56年 |
松波の町並 |
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