野々市市の町並
本町2丁目・本町3丁目
地図


本町3丁目の町並

 野々市市本町2丁目・3丁目は、石川県の中央南西寄り、手取扇状地東部の平坦地で、野々市市の中央東部に位置し、北東は金沢市に接する。
野々市(中世は野市)で、加賀守護となった富樫氏は、流通経済の中心地としての野市を重視して、当地に守護所を置いたため、加賀一国の政庁所在地として発展した。
しかし、天文15年(1546)の金沢御堂(尾上御坊)建立以後、加賀の中心都市としての役割が急速に薄れていった。
金沢が城下町として隆盛を極めるのとは対照的に、野々市はかっての守護の膝元の隆盛を失い、金沢城下から南に向かう北陸街道の第一宿としての役割を担うのみとなり、城下南西郊の農業地帯となって行った。只、中世の繁栄の名残として、野々市には中世から近代に至るまで馬市が開設されていて盛況をを極めていた。
江戸期の野々市村は加賀藩領で前述のように、金沢城下から南へ最初の宿場町。村高は「正保郷帳」3,141石余、寛文10年(1670)の村御印の高3,334石余、元禄2年(1689)の家数293とある。
「皇国地誌」によると野々市宿は東西8町余り、南北6町余、小名として、荒横通・北横通・一日市通・中通・六日通・西通・南通が記されている。明治9年に野々市新村が分村し、分村後の野々市村の家数は357・人数181とある。
今、古い伝統的な家屋が点在するのは、旧北陸街道に沿って、北の金沢から続く南北の旧北陸街道の本町1丁目から2丁目と続き、本町2丁目の中程で西に逆L字型に折れ、西の本町3丁目へと続く旧街道筋に展開している。
平入であったり妻入りであったり、切妻造りの真壁造りで妻を見せた、この地方の特徴ある家屋も数多く見られる。そんな中に国の重要文化財の喜多家住宅がある。喜多家は加賀の典型的な町屋造りを今に伝えている建物である。
町並み指数 40
参考文献
   石川県の地名  平凡社  (有)平凡社地方資料センター  1991年
   角川日本地名大辞典  角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和56年


本町3丁目の町並

本町3丁目の町並

本町3丁目の町並

本町3丁目の町並

本町3丁目の町並

本町3丁目の町並

本町3丁目の町並

本町3丁目の町並

本町3丁目の町並

本町2丁目の町並

本町2丁目の町並

本町2丁目の町並
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