中島は能登半島中央部、七尾西湾の注ぐ熊木川河口に位置する。内浦街道の馬継所で街道沿いに町並が続く。江戸期を通じて加賀藩領。 波静かな七尾西湾岸の中島は古来より出船・入船で栄えた港町で、経済力豊な町であった。陸路・海路によって近郷の諸村から物資が集積され、積み出される港として発展していた。 当村が明治22年の市制町村制施行後も一字一村として存続したのは、支持した政党の違いもあるが、近隣緒村から合併を拒否された経緯がある。中島村は人口は少ないが人家が密集していて市街地の形状をなし、商工業が盛んで、近隣緒村が農業でもって成り立っているのとの違いがあげられている。 貞亨年間(1684〜87)の家数は百姓35・頭振34。天明5年(1785)の家数129。天保年間(1830〜44)の家数161(うち頭振32)・人数881。明治22年の家数244・人数1,915であった。 人口密集地であるため、しばしば火災の被害を受け、昭和5年の大火で町並の半分以上を焼失したというが、町並はどうしてどうして、伝統的な様式の家屋が連なった見ごたえのある町並みであった。 でも過疎化が確実に進んでいるのは見てとれるので、何れは町並保存再生も考えねばと思う。 石川県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1991年 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和56年 |
中島町中島の町並 |
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