領家は滑川市街の西、上市川右岸に近い平地に位置している。早月川と上市川によって形成された複合扇状地の末端部での、旧北陸街道にそった町並みである。 近世を通じて加賀藩領で、農・漁業が中心であったが、売薬も盛んに行われていたようだ。家数は元和元年(1615)20、天保元年(1830)45とある。 当地の養照寺は古刹であり、寛政〜天保年間(1789〜1844)にしばしば加賀藩の本陣や脇本陣を滑川宿に代わって勤めている。明治5年の家数は52であり、昭和5年では58戸・310人であった。 町並みは旧北陸街道(現県道1号線)に沿って展開している。切妻造り平入りで間口の広い重厚な出桁造りの商家建物が点在している。袖壁は普通2階部分に備えられているものだが、この地方では一階にも袖壁様の囲いが備わっている。名称はどういうのだろう。 町並みを歩いた印象は古い雰囲気に包まれた街道筋の町並みだが、眠っているような動きの無い町並みだった。過疎に悩まされているのだろうと思う。 富山県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1994年 角川日本地名大事典 角川書店 角川日本地名大事典編纂委員会 昭和54年 |
領家町の町並 |
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