旧七尾街道(内浦街道)(東往来)は邑知(おうち)地溝帯の南丘陵部を通り、発達した集落を繋いでいた。七尾街道は所口(現七尾市)から金沢を結んでいた街道で、二宮と高畠に宿駅が置かれていた。加賀藩では所口(七尾市)の繁栄を維持するために、所口を経由することを定めていた。 小田中村・久江村・藤井村・二宮村・武部村などは七尾街道(内浦街道)沿いの村々で街道沿いは街村を形成していた。この七尾街道沿いの村々は江戸はじめは長氏領であったが、寛文11年(1671)からは加賀藩領となり明治を迎えている。二宮宿・高畠宿には本陣も置かれて繁栄していたというが、短い街道だから本陣といっても、その時々に豪商の家などを本陣に指定していたようだ。 村々の家数・人数について見ると、小田中村は文政3年(1820)の家数154・人数648、藤井村は文政3年(1820)の家数44・人数249、久江村は文化3年(1806)の家数143・人数566、二宮村は天明6年(1786)の家数92・人数439、武部村は天明6年(1786)の家数106・人数503であった。 七尾街道筋の主要駅宿であった二宮宿から東の武部村にかけては街村を形成し、緒職業があって賑わっていた。 国道159号線がバイパスとなって早くから邑知地溝帯の中央部を貫通したので、古い町並は比較的良く残っている。妻面を真壁にした妻入りの大型家屋は街道を通ると圧倒しているようだ。同じ形式の家屋でも平入りになると妻面を板壁にして、中2階建てを表に出しているのはやはり意匠だけの問題だと思われる。 石川県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1991年 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和56年 |
小田中の町並 |
小田中の町並 |
久江の町並 |
久江の町並 |
久江の町並 |
久江の町並 |
久江の町並 |
久江の町並 |
武部の町並 |
二宮の町並 |
二宮の町並 |
二宮の町並 |