美浜町佐柿の町並 
佐柿
地図


佐柿の町並
 美浜町佐柿は若狭湾の敦賀半島の付根部分と常神半島の付根部分の中間地点。御岳山の北西麓で、北にある天王山と御岳山の山裾が出会う所に位置する。
古くから越前から若狭、そして丹後に入る丹後街道が通り、交通の要衝として重要視されてきたところ。
江戸期は小浜藩領。村高は「正保郷帳」724石余、「元禄郷帳」「稚狭考」では725石余、「天保郷帳」729石余、「旧高旧領」では732石余。
「若狭国志」伴信友注に「佐柿 町名六 野瀬町・南丁・竪丁・横丁・中丁・北丁」と見え、小規模ながら町並が発達していた。「雲浜鑑」によると文化5年(1808)の家数108・人数426。
慶長5年(1600)に入封した京極高次は、重臣多賀越中守を配して国境を固めたが、寛永11年(1634)酒井忠勝が入封すると陣屋を設けて奉行をおいた。陣屋は字旭谷にあり、奉行1人・足軽20人が配置され、陣屋は幕末まで存続した。
現在、江戸時代から明治時代にかけての古い町家が僅かですが残っています。旧丹後街道に沿って商家の建物が一部連なり、古い町並を形成している。商業で潤った町でもないので、農業の傍ら、何らかの商売をしていたのだろうと思われる小さな町並が見られた。
陣屋跡には若狭国吉城歴史資料館が建てらている。城主居館跡や准藩主屋敷跡・高札場跡などの表示もされていて、町並見学者ようの大きな駐車場まで用意されたいた。
町並み指数 30
参考文献
   角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  1989年
   福井県の地名  平凡社  下中邦彦  1981年   

佐柿の町並

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