日向(ひるが)は三方五湖の一つ日向湖畔の北側と東側と湾岸沿いに密集して立地している典型的な純漁村である。集落の中央辺りにある運河で日向湖と若狭湾は繋がっている。 鎌倉時代の初めにはもう漁場として確立していたようで、大変古くからの漁場と漁村であったようだ。 江戸時代は小浜藩領で、文化4年(1807)の家数・人数は133・697であった。 慶長7年(1602)の若狭国浦々漁師船等取調帳の三方郡の項に日向浦の船数26艘、水夫49人とあり、江戸初期の業業の規模がわかる。 かっては殆どの家が漁業に関係した職業だったようだが、今は半数より少ないと地元の方が言っておられたが、どんな職業についておられるのだろう。 町並は漁村集落そのもので、細い道の両側に集落の民家が建ち並ぶ。軽自動車が通れるかどうかという程度の細い道が延々と集落の中を延びている。漁師町特有の道路形態だ。建ち並ぶ家屋も板囲いの家が多いのは潮風があるからだ。 そんな中でひと際大きい家にがある。渡辺家で、宇波西神社(現三方町)の祭礼には「おものもり」とよぶ日向浦の神事がある。同家の当主が先頭に立って太刀を奉じ、鮮魚の供えをたずさえて日向浦から行列を作って参加する行事である。宇波西神社の大明神は初め日向浦に垂迹され、一時渡辺家に祀られるたが後に今の現三方町の場所に鎮座されたことによる等の平安時代から続く格式高い家柄だ。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 1989年 福井県の地名 平凡社 下中邦彦 1981年 |
日向(東側)の町並 |
日向(東側)の町並 |
日向(東側)の町並 |
日向(東側)の町並 |
日向(西側)の町並 |
日向(西側)の町並 |
日向(西側)の町並 |
日向(西側)の町並 |
日向(西側)の町並 |
日向(西側)の町並 |