黒部市生地の町並
生地
地図


生地の町並

 黒部市生地は黒部川扇状地の末端、西は富山湾に面している。
加賀藩領で、寛文10年(1670)の村御印では無高浦であるが、小物成として池子役210�匁・浦役一貫261匁・野役51匁・鮭役210匁・鱒役34匁・猟船櫂役795匁・ほか渡海船櫂役84匁・鰤役414匁・間役1匁8分などがあった。
享保18年(1733)の家数は428、人数は元禄10年(1697)1,646・宝暦7年(1757)2,319・明和3年(1766)2,620人であった。
明和6年(1769)生地浦にはタイ網14・イワシ網14・小猟船100艘余りあり、水揚げされた魚は魚津の問屋に持ち込まれ、飛騨・越後・富山などに販売され、イワシは干鰯として出荷していた。天保7年(1836)に当村の米屋清兵衛の船が北海道の松前・江差に入港している記録も残る。
幕末には新川地方(富山県東部)は全国でも有数の白木綿産地であり、その中心の一つが生地であった。織屋は20軒もあり、年間18万反の取引をしていた。安政6年(1859)生地村の諸商売書上では、古手屋13・質屋11・鍛冶屋9・枇売人8・豆腐屋・青染稼各7・油小売・御塩売捌人・醤油屋・風呂屋各6・合薬4・売薬・古着等仲買人各3・酒造・油臼・蝋燭屋・室屋各2がいた。
明治5年の家数833。明治41年の人数5,453とある。現在黒部市生地との表示だが、通称で神明町・上町・四十物町・大町・宮川町・阿弥陀堂がある。

多分、漁村の集落風景が見られると思い訪ねたのですが、黒部川扇状地湧水群と黒部漁港入口の可動橋が有名な所とはしりませんでした。中でも生地にある湧水群は「日本名水百選」にも選ばれていて、町のあちこちから清らかな湧き水となって地表に出ていました。
また、生地中橋は橋の一方を基点に全体が回転する日本初の片持式旋回可動橋で、漁船が通過するときに、長さ38.4m、幅7m、重さ307トンの橋体が持ち上がって回転する珍しい橋で、通りかかった時に偶然漁船が通るために回転しているのを見られたので良かったです。

さて、町並に付いてですが、生地中橋に続く南北の道筋は広くて、構成している家屋も小商売の名残の有る商家の建物で、在郷町だったようですが、一歩路地にはいると漁業集落の様相が見られる町並でした。中には袖壁を残し、庇の深いこの地の特徴ある建物で構成された町並も残されていました。造り酒屋さんもあり、清水(しょうず)と呼ばれる湧き水も各所にあり、生地中橋の可動橋も見られ、観光事業に力を入れている黒部漁港などなど、一般観光客にも対応できる小さな観光地でもありました。
町並み指数 40
参考文献
  富山県の地名    平凡社    (有)平凡社地方資料センター    1994年
  角川日本地名大事典   角川書店   角川日本地名大事典編纂委員会   昭和54年


生地の町並

生地の町並

生地の町並

生地の町並

生地の絹清水

生地の町並

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生地の町並

生地の町並
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