勝山市北谷町木根橋・河合は 九頭竜川支流滝波川の上流域、勝山市街から北東に約10kmに位置する。 江戸期〜明治22年までは、木根橋村・河合(こうご)村といい、ともにはじめ福井藩領、寛永元年(1624)勝山藩領、正保元年(1644)幕府領で福井藩預かり地、貞享3年(1684)幕府領直轄地、元禄5年(1692)から美濃郡上藩領。 木根橋村・和合村の村高は、「正保郷帳」181石余・47石余、「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」では同じ181石余・47石余。宝暦9年(1759)の下郷明細帳之写によると家数46・23、人数255・136とあり、馬は11・12であった。 明治に入って、「足羽県地理誌」によると家数79・26、人数432・189とある。 物産は生糸・炭・石炭・石灰・繭・布・杉板・桑。白山山麓に広く分布した出作りとよばれる焼畑農業も行われていた。また、近世の加賀えの道、牛首道が通り加賀牛首村(現白山市白峰)と繋がっていたので、男は耕作の合間に駄賃稼ぎをして生計を立てていた。 この集落を訪ねたのは、白山市白峰集落を訪ねた帰りに国道157号線を走っていて、農山村の原風景とも思える集落を見つけて、立ち寄ったもの。 国道から見て、原風景の良い集落だなと思ったが、集落内に入ってみると豪雪地帯で過疎に悩む集落のようで、無住になった家が目立ったのは心痛む訪問だった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 1989年 福井県の地名 平凡社 下中邦彦 1981年 |
北谷町木根橋集落 |
北谷町木根橋集落 |
北谷町木根橋集落 |
北谷町木根橋集落 |
北谷町木根橋集落 |
北谷町木根橋集落 |
北谷町河合集落 |
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