白山市白峰の町並
白峰イ・白峰ロ
地図


白峰イの町並

 白山市白峰は日本三名山の一つ白山山頂から西に直線で約12km、手取川と支流大道谷川の合流点付近に位置する。江戸期は牛首村と云った。
牛首村は産土神八坂神社の由緒・祭神などから、中世初頭に木地屋集落として成立したようである。
江戸初期、牛首村は越前福井藩領であったが、正保元年(1644)幕府領福井藩預地となり、白山争論を契機として、寛文8年(1668)白山十八ヶ村のうちとして幕府直轄領となる。
慶長6年(1601)〜延宝元年(1673)までは、当村(牛首村)の加藤藤兵衛が代官となり白山麓を治め、以後幕末までの大半は当村の山岸十郎右衛門が取次元(大庄屋)を勤めた。
「越前国正保郷帳」では18石余、元禄11年(1698)の十八ヶ村高小物成帳では家数233。文久3年(1863)の白山麓十八ヶ村由緒控では高39石余、同年の村高等書上控では家数536・人数2,821とある。
平坦地が少ないため「むつし」ともよばれる焼畑が盛んで、出作を主要な生活手段としていた。慶長2年(1597)にむつし証文写があることから、焼畑の起源はこれ以前にさかのぼるとされている。江戸期から続いた出作農業の焼畑農業は昭和9年の322戸を境に、昭和25年〜28年頃から急激に衰退した。出作で行われた焼畑農業のほか、養蚕や林業が盛んで、牛首紬(県指定無形文化財)は「毛吹草」に牛頸布と記され、近世初頭から広く知られていた。
町並を形成する家屋は2階建てや3階建てで大型の家屋が多い。江戸期から明治期にかけて養蚕のためのに建てられたもの。切妻造り・平入・板張りの外壁を持つ家々が連なっている。
豪雪地帯の厳しい自然環境に対応した集落形態が評価され、平成24年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。
町並み指数 50
参考文献
   石川県の地名  平凡社  (有)平凡社地方資料センター  1991年
   角川日本地名大辞典  角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和56年


白峰イの町並

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白峰ロの町並

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