越前町宿・梅津とも越前海岸に発達した海岸段丘崖下にあり、狭い岩石海岸に人家が並んでいる集落です。共に江戸時代は福井藩領であった。 農地は少なく、両村とも漁業で生計を立てていた。 まず、梅浦は江戸時代は海浦と言われ中世以来の漁村であった。家数や人数は、寛政元年(1789)上海浦は80戸・323人。下海浦は63戸・283人。慶応2年(1866)上・下海浦合わせて172戸・777人であった。明治9年に上下の両浦が合併して梅浦となった。 宿浦も海岸段丘の崖下の集落で列を成して家屋が並んでいる。家数は慶長3年(1598)65戸、寛文元年(1661)150戸、天明2年(1782)77戸、文政5年(1822)79戸・407人とある。 北の海浦そして宿浦、その南の新保浦と互いに浦の海岸線が漁場であったが、宿浦の海岸線は2町と短いために、絶えず漁場の境論で争いが絶えず、網漁で紛争を起こしていた。 今、古い町並は海岸沿いに造られた国道305号線と東側の山との間の古い通りに沿って展開している。狭小な平坦地に多くの家屋が建ち並んでいる。当然密集した建て方になっているが、漁師町と商業地の性格を併せ持つような町の様相である。 北の三国町から南の敦賀までの、長い海岸線で一番大きな集落と言うことで、商業地としても発展していたと思われる町並みが残っていた。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 1989年 福井県の地名 平凡社 下中邦彦 1981年 |
梅津の町並み |
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宿の町並 |
宿の町並 |
宿の町並 |
宿の町並 |
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