越前市中心部は九頭竜川支流、日野川左岸の河岸段丘上、西の河濯川との間に位置する。 中央を北国街道が南北に通り、その街道に沿って町家が建ち並ぶ。明治初年までは府中と呼ばれていた。 慶長6年(1601)結城秀康が越前の領主となって入国すると、その家臣本多富正が府中城に入り、城下町が建設され現在の武生市街の基盤が出来たのである。 北国街道の東の河原地の整備と共に町割りに着手し、2階建ての府中館(御茶屋)を置いた。そして内堀・外堀が小規模ながら設けられた。町は城下町・宿場町・門前町の性格を兼ね備えていた。 町の中央を北国街道が縦貫し、東側は本多氏の居館と河原地の整備によって出来た地に侍屋敷、西側は寺社、南北及び北陸街道沿いには商家・町屋が配置された。 本多氏入封当初は500戸足らずといわれたが、寛永2年(1625)の記録では18町884軒、安永3年(1774)の記録では26町2,230軒、文化年間(1804〜18)の記録では34町2,849軒。 町の産業は打刃物の生産が有名で、越前鎌として多く販売されていた。その他、鍛冶業・越前蚊帳・越前和紙も藩の保護奨励により府中の産物として名声を博していた。 今回訪ねたのは、旧北国街道(現国道365号線)沿いの高瀬1・千福町・日野美1・日野美2など。 切妻造り・平入・中2階建て・桟瓦葺きで虫籠窓を残した商家建物も多く、中には煙出しの備わった商家建物も見られた。多くの商家は打ち刃物の商いをされているようで、軒先に大きな看板を掲げての商売だった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 1989年 福井県の地名 平凡社 下中邦彦 1981年 |
旧北国街道沿いの町並 |
旧北国街道沿いの町並 |
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旧北国街道沿いの町並 |
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