永平寺町松岡地区の町並 
松岡神明1・松岡薬師2
地図


松岡神明1の町並

 永平寺町松岡地区は福井平野の東端、九頭竜川中流域に位置するが、今回訪ねた松岡神明・松岡葵・松岡薬師などは九頭竜川中流域左岸に位置する。
江戸はじめは福井藩領、正保2年(1645)からは松岡藩領となり、享保6年(1721)に福井藩領となり松岡藩は廃藩となる。
正保2年(1645)松平昌勝が福井藩から5万石の分封を受け松岡藩が成立した。慶安元年(1648)に御館の造営が始まり、慶安2年(1649)からは侍屋敷割も行われ、約4年をかけて完成した。館の南の東西に大名町・代官町があり、これらの武家屋敷を囲んで土居と水濠が巡る。その外側には勝山街道を屈曲させて、帯状の町屋が配置された。御館は現在の松岡町葵1丁目。
元禄10年(1697)の松岡町家数間数之帳によると、西口の福井方面からの街道沿いの町並は順に、観音町26戸・室町の内雑家町22戸・室町66戸・極印町45戸・本町55戸・台町48戸・毘沙門町26戸・椚町35戸・窪町35戸で、雑家町を室町に入れて「松岡八ヶ町」と総称し、松岡惣家数358戸を数えた。
享保6年(1721)に藩主松平昌平が宗昌と改めて福井藩を継いだため松岡藩は廃藩となった。松岡家中は享保10年(1725)から元文4年(1739)にかけて福井に引っ越したため、侍屋敷地や同時に引っ越した寺院などの屋敷が耕地となった。
残ったのは街道筋の町家のみで、城下町の機能を失い衰退に向かったため、福井藩は藩札発行の支所を設けたり、特産の鋳物業や酒造の保護と同時に火薬硝煙類製造所を置いて積極的な振興策を図った。また、宿駅の機能は残したりと、町の衰退を防いだので、宝暦7年(1757)では惣家数382戸。天保9年(1838)では惣家数355戸と大きくは衰退することなく、次第に福井東部地域の拠点として地位を回復していった。
今、古い町並は旧勝山街道沿いに展開している。切妻造り2階建て平入の大型建物が街道に沿って建ち並ぶ。特徴ある袖壁を備えた家屋や千本格子を残した家もみられる。一階の軒部分が鉄板葺きになっているのは、越前地方に多いが、2階屋根の雪が落ちた時の備えのようだ。
町並み指数 40
参考文献
   角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  1989年
   福井県の地名  平凡社  下中邦彦  1981年   

松岡神明1の町並

松岡神明1の町並

松岡神明1の町並

松岡神明1の町並

松岡神明1の町並

松岡神明1の町並

松岡薬師2の町並

松岡薬師2の町並

松岡薬師2の町並

松岡薬師2の町並
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