由利本荘市岩城亀田大町は岩手県中南部の西端、日本海に注ぐ衣川の下流域左岸に位置し、岩城亀田藩の城下町として発展した所。 江戸初期の慶長7年(1602)〜元和8年(1622)最上氏領で楯岡豊前守代官支配、同8年(1622)本多正純領、同9年(1623)から亀田藩領で明治を向かえる。 元和9年(1623)岩城吉隆が信濃川中島から入封。それまでの赤尾津を亀田と改め、高城山山麓の台地(現在の亀田小学校地)に築城し、城下町造りをはじめた。 亀田城(陣屋)の西外側に濠・土塁を巡らせた侍町(亀田町・出溜町・鶴岡町・田町・上小路・徒士小路)、その西側には柳町・最上町・稲荷町・裏町などの足軽武士の町、更に大工町・肴町・中町・大町・新町・今町などの外町を町割りし、市中を31町に分けた。 廃藩置県後の明治8年、31町の家数846・人数3,844とあり、産物は木綿(士族婦人の産)があった。 明治12年に従来の31町を、亀田町・愛宕町・大町・最上町の4町にまとめられた。亀田大町は城の西側で、従来の大町・中町・肴町・大工町・蔵小路・馬場小路・地蔵坂の7町が含まれる外町・商業地区であった。明治15年の亀田大町の家数224・人数946であった。 戊辰戦争で全て焼けてしまい、武家屋敷町は無くなってしまった。また。その後も明治12年に198戸を焼き、明治14年には百数拾戸が焼失する火事があり古い建物が殆ど残っていない。 それでも町人町には古い伝統的な様式の建物が点在し、城下町当時の商業地の面影を伝えている。真壁の妻面を見せた大型家屋は迫力あると思いながらの探訪だった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和55年 秋田県の地名 平凡社 下中邦彦 1980年 別冊 太陽 日本の町並V 平凡社 湯原公浩 2004年 |
岩城亀田大町の町並 |
百 岩城亀田大町の町並 |
岩城亀田大町の町並 |
岩城亀田大町の町並 |
岩城亀田大町の町並 |
岩城亀田大町の古い形式で建てられた公営住宅 |