由利本荘市石脇は秋田県の西南部、日本海に注ぐ子吉川の下流域の右岸に位置する。亀田藩の重要な湊で、対岸は本荘藩の城下町古雪湊だった。 江戸期は慶長7年(1602)〜元和8(1622)年最上氏領で、楯岡満茂支配。元和8年(1622)本多正純領。元和9年(1623)からは亀田藩領となり明治を向かえた。 子吉川の川湊として町扱いされていて、宝永7年(1710)の御巡見様御案内には「石野脇村」として家数83軒、郷高22石余とある。村勢は享保2年(1717)にも変わらず、享和2年(1802)の伊能忠敬の「測量日記」では166軒とある。 天保9年(1838)の御巡見使御下向取調帳では村高75石、町は4町で上町・新町・中町・三軒町であり、家数198軒・人数978人・馬29匹・岸引船4艘・沖猟船1艘・鮭引船5艘・川船9艘とある。 石脇は亀田藩にとって重要な湊であり、宝永7年(1710)には米蔵が九ッあり、売米は西回りで大坂に送られていた。天保9年(1838)の取調帳によれば、領主米は年に7千石を収納し、その内およそ2千石を大坂に廻米していたという。北前船の寄港地であり、大小の廻船問屋の名前も、安政2年(1855)の東講商人鑑に記載されている。 明治初年の家数300・人数1,408・馬23・船500石未満200石以上1艘・50石未満の荷船10艘・漁船18艘・ハシケ2艘の計31艘、男の職業は農業20・漁業50・商業75・工業53・雑業81となっている。廻船等による物資流通の拠点だったことが伺える。 今、古い町並みは子吉川の北側の道路に沿って展開している。北前船等の廻船問屋や大地主・大商人の家屋と思われる大型で重厚な建物が建ち並ぶ町並を展開している。江戸末期に建ち並んでいた米蔵などの面影はないが、大型で妻面を通りに向けた真壁造りの町家が並んでいる。そんな中で造り酒屋さんも健在で町並形成に貢献していた。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和55年 秋田県の地名 平凡社 下中邦彦 1980年 別冊 太陽 日本の町並V 平凡社 湯原公浩 2004年 |
石脇石脇の町並 |
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