横手市平鹿町浅舞の町並 
平鹿町浅舞地区
地図


平鹿町浅舞の町並
 浅舞は戦国時代にはすでに町割りが出来上がっていたようで、南北に延びる羽州街道の脇街道的な植田街道、東西に本荘街道などが交差する交通の要衝で宿駅も置かれていた。
江戸時代を通じて秋田藩である。戦国末期には小野寺氏の支城があったが、藩主佐竹義宣は家臣茂木監物治良に浅舞城を受け取らせている。元和8年(1622)に一国一城令により取り壊された。
しかし、街道の要衝地として町場には元和元年(1615)から御陣屋を置き、藩主の鷹狩の休憩所でもあった。寛政7年(1795)から郡御役屋に昇格している。
1・4・6の市日の六斎市が開かれ、木綿・綿・魚・小間物類が持ち込まれていた。幕末期の天保6年(1835)の調べでは多くの浅舞商人は繰綿を扱い、若狭紙・松前ものなど遠国のものも見られ、活発な商業活動をしていたようだ。
近代に入り、浅舞は鉄道など主要交通ルートから外れ、商業活動は衰退したが、その分昔日の面影が残る町並が残ったのである。伝統的な切り妻造り、妻入りの商家の建物が点在している。中でも目を引くのは、「天の戸」と大きな看板を揚げた浅舞酒造の建物群である。
この地は大正14年に大火に遭っているので、町並の建物はそれ以降のものであるが、切り妻造りで妻入り、軒を張出した伝統的な建物が多く、東北地方の町場の町並の様子がよく出ている。
町並指数 30
参考文献   
  秋田県の歴史散歩  山川出版社  秋田県歴史散歩編集委員会  1996年
  角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  昭和55年  
  秋田県の地名  平凡社  下中邦彦  1980年
  日本の町並V  平凡社  江田修司  2004年  

平鹿町浅舞の町並

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