余市町の町並
黒川町・入舟町・浜中町
地図
入舟町の旧下ヨイチ運上家
余市町は北海道中央西部、後志地方の北部、積丹半島の北東部付根に位置する。 町の中央を余市川が流れ、その河口に新しい市街地が発達し、余市港を中心とする旧市街と大きく二つに分かれる。 近世ははじめ松前藩領、文化4年(1807)幕府領、文政4年(1821)松前藩領に複領、安政2年(1855)幕府領、安政6年(1859)庄内藩領と変遷し明治に至る。 ヨイチはアイヌの日本海側最大の根拠地であって、上ヨイチ場所・下ヨイチ場所とも余市にあり、アイヌとの交易、鰊・鮭の漁獲が、米の収穫の無い松前藩の大きな収益であった。 安永元年(1772)道南上の国石崎から漁民83人を連れて余市に来たのが、和人の集団移住の初めである。ヨイチ場所は安永9年(1780)江戸・松前家縁戚の松前半左衛門が上ヨイチ場所を、上の国の石崎の松前八兵衛平角が下ヨイチ場所を領した。天明6年(1786)の運上金は上ヨイチ場所が140両、下ヨイチ場所が160両の合計300両であった。 両ヨイチ場所は 文化年間(1804〜18)からは同一請負人が請け負うようになり、文化6年(1809)近江商人の柏屋藤野喜兵衛が両ヨイチ場所の運上金480両を払っている。安政元年(1854)に請負人は松前の竹屋林長左衛門に代わり、文久2年(1862)からは運上金が2126両余りに増額された。 余市は漁業から始まり、明治5年の余市郡の職業別戸口をみると、漁業は283戸・1,261人で全就業人口の半分以上を占めていて、続く農業の176戸・612人を大きく引き離している。 潮見町のローソク岩辺りが千石場所と呼ばれる好漁場であった。明治3年頃から13年までの10年間はニシンの好漁期で明治20年頃まで続いた。大正期も豊漁と不漁を繰り返すが大正14年には7万7千石のピークを向かえるが、昭和に入り漁獲量は激減し、やがて鰊の来遊が無くなってしまった。 余市川河口左岸入舟町に国の重要文化財の旧下ヨイチ運上家が残っている。現存する運上家では唯一のもので、間口20間・奥行9間の大きな建物には圧倒される。建築年は特定できないが、場所請負人の林長左衛門が嘉永6年(1853)に改築したときの図面が残っていたので、それに従って、昭和54年に復元工事が行われたもの。 余市にはもう一つ旧余市福原漁場が残っている。旧福原家が所有していた建物群。主屋である番屋は出稼ぎの漁夫の宿泊空間、他に米味噌蔵・文書蔵・網蔵など多くの建物が整備復元されて公開されています。 町中には木骨石造りの建物が点在していて、趣ある北海道の景観を呈していますが、どうしたことか余市港近くの旧市街(富沢町など)を訪ねるのを忘れてしまい残念なことをしたと後悔の探訪だった。 北海道の歴史散歩 山川出版社 北海道歴史教育研究会 1994年 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和62年 日本の地名北海道 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 2003年 |
黒川町の町並 |
黒川町の町並 |
入舟町の旧下ヨイチ運上家 |
入舟町の民家 |
浜中町の旧余市福原漁場 |
浜中町の旧余市福原漁場 |
浜中町の旧余市福原漁場 |
浜中町の町並 |