鶴岡市田麦俣は庄内地方東南端、赤川の上流域梵字川の右岸に位置し、集落内を田麦俣川が流れる。古くから庄内地方鶴岡と山形を結ぶ六十里越街道の宿場として発達した。 江戸はじめは上杉氏領、慶長6年(1601)最上氏領、元和8年(1622)からは庄内藩領。村高は元和8年(1622)の御知行目録では7斗1升、寛永元年(1624)の庄内検地高辻16石余、「天保郷帳」「旧高旧領」ともに22石余。幕末期の「弐郡詳記」によると村高22石余、家数35軒。 田麦俣村は六十里越街道上の要衝の地で、庄内藩の大綱番所未番所が置かれ、通行人の人改めが行われた。出羽三山の一つ湯殿山参詣人の旅籠屋、物資交換の荷宿もあり賑わっていた。 田麦俣集落の茅葺き屋根の民家は豪雪時の出入りを容易にするためと、山間地ため広い敷地の確保が困難なこと、宿場町のため客人を泊める空間を確保するため、三層構造で居住空間を広くした茅葺きの建築様式が発展した。そしてこれらの民家は明治に入って養蚕業が盛んになると、二階・三階部分の採光と通風を確保するため、寄棟屋根の平部分には屋根窓(高はっぽう)が設けられ、妻面側は屋根を垂直に切り上げた兜造りへと改造されるようになった。 現在、田麦俣集落に残っている兜造りの多層民家は2棟しか残っていない。一棟は旧遠藤家住宅で、県文化財に指定されている。もう一棟は民宿を営まれている建物。 当地に有った旧渋谷家住宅は鶴岡市街の致道博物館に移築された、国の重要文化財に指定されている。 訪ねたのは5月21日だったが、遅咲きの八重桜が満開で、建物の陰などには雪が多く残っていた。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和56年 山形県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1990年 |
田麦俣の茅葺き民家 |
田麦俣の茅葺き民家 |
田麦俣の茅葺き民家 |
田麦俣の旧遠藤家住宅 |
田麦俣の旧遠藤家住宅 |
田麦俣の町並 |
田麦俣の茅葺民家 |
旧大綱小学校田麦俣分校 |