泊村泊村の町並
泊村
地図
泊村の「鰊御殿とまり」の旧川村家番屋
泊村泊村は北海道西部、後志地方の北部、積丹半島の付根部分、モヘル川の河口部に位置する。 江戸期のモエトマリベツ、モエレトマリなどからなる。西蝦夷地フルウ場所のうちで、江戸期から鰊漁を中心とした沿岸漁業の村として発展した。 泊村は明治2年に開拓使の直轄になり、明治15年に札幌県の直轄となる。明治期も江戸期に続いて鰊漁を中心とした漁業が生活の基盤であった。明治26年には鰊建網漁業者が23人もいた。そして明治44年に漁獲高1万56石余り、大正4年に2万7千232石余りと最盛期を見せたが、昭和期になって衰退を続け、昭和27年には鰊漁業が終わった。以後イカ釣りのほか、カレイ漁や採貝、採藻などの漁業が細々と続き、栽培漁業も行われている。 同じく茅沼地区で江戸期から採炭されていた茅沼炭鉱が昭和31年に開業100年を迎えた。この間昭和24年には年間11万トンの出炭を見たが、昭和39年には閉山した。 そして泊村泊村は明治6年の「後志国地誌提要」に「泊り村」とみえ家数82・人数299、寄留戸数4・人数189。明治12年の「共武政表」に家数90・人数426、馬55、日本形船舶167とあり、物産は鰊・鱒・鮭・鱈・昆布とある。明治24年の「徴発物件一覧表」では家数147・人数1,999(男1,277・女722)。明治32年では家数287・人数2,164で青森県出身者が一番多く、漁を生業とするものが殆どであった。 今、泊村泊村には「鰊御殿とまり」が公開されている。修復した旧武井家客殿の敷地に旧川村家番屋を修復移築したもの。鰊漁が最盛期のときには泊には50を越える鰊番屋が建ち並んでいたそうであるが、集落内を歩くと番屋だったであろう建物が散見できる程度の、過疎化の激しい朽ちるに任せている家屋も多い集落であった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和62年 日本の地名北海道 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 2003年 |
「鰊御殿とまり」の旧川村家番屋 |
「鰊御殿とまり」の旧川村家番屋(右)と武井家客殿(正面) |
「鰊御殿とまり」の旧武井家客殿 |
「鰊御殿とまり」の旧武井家客殿 |
泊村泊村の町並 |
泊村泊村の町並 |
泊村泊村の町並 |
泊村泊村の町並 |
泊村泊村の町並 |
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