棚倉町の町並 
棚倉鉄砲町・棚倉古町
地図


棚倉鉄砲町の町並

 棚倉町の中心部の棚倉は、福島県南部、中通り南部、久慈川左岸段丘に広がる旧城下町。
棚倉となったのは明治18年で、それまでは伊野上村・伊野下村と云われていた。ともに江戸はじめは幕府領、慶長9年(1604)からは棚倉藩領。永禄3年(1560)蘆名氏が再築した赤館城があったが、天正年間(1573〜92)佐竹氏の支配下にあったが、慶長7年1602)佐竹氏が秋田に移封された際に破却された。赤館城時代から町場が形成されていたようで、、慶長9年(1604)棚倉藩に封ぜられた立花氏は築城せずに、代官町大長屋に居住したという。
棚倉城(亀ヶ城)は元和8年(1622)入封した丹羽氏によって寛永元年(1624)赤館城の南に築城された平城である。そしてそれ以後の領主は代々譜代大名の内藤・太田・松平……と続く。
城下町は南北に細長く延び、城を境に北部の伊野上村、南部の伊野下村の2ヶ村からなり、伊野上村には新町、伊野下村には古町・鉄砲町・下町が町割りされていて城下町が形成されたが、古町が最初に町割りされた。
家臣の屋敷は伊野上村の北町、伊野下村の下町・鷹匠町に配された。
家数・人数は享保14年(1729)新町163・535、古町158・558、鉄砲町42・137、下町45・143。
文化14年(1817)の家数は新町89・古町98・鉄砲町26・下町23とある。
2・7の六斎市が開かれ、城下を南北に縦貫する常陸太田街道(棚倉道・茨城街道・水戸通)の宿駅で、古町と新町には問屋が置かれていて、伝馬役を勤めた。
旧常陸太田街道に沿って古い伝統的な商家が点在している。中でも下町から鉄砲町にかけての枡形の辺りが一番の古い町並であり、その北の古町にかけてには古い形式の商家建物が点在していたが、殆どが明治に入ってからの建物と思われる。
町並み指数 30
参考文献
  角川日本地名大事典  角川書店  角川日本地名大事典編纂委員会  昭和56年
  福島県の地名  平凡社  (有)平凡社地方資料センター  1993年 


棚倉鉄砲町の町並

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棚倉古町の町並

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