田村市船引町上移は中通り中央部東端、移ヶ岳北麓の阿武隈川の支流移川流域に位置し、峠の宿駅として発達したところ。 上宇津志村は上移村とも書き、近世初めは会津領、寛永20年(1643)白河藩預り地、正保2年(1645)からは三春藩領。 村高は文禄3年(1594)の蒲生高目録では1,046石余、万治2年(1659)の村高之覚えでは886石余、享保4年(1719)の高帳では全て合わせて952石余、「天保郷帳」では「古者上宇津志村・葛尾村・横道村三ヶ村」として1,867石余、「旧高旧領」700石余。 上宇津志村は物資集散地として、会津加藤氏支配時代には六市と称する月6度の市がたっていたが、三春藩成立以降は衰退したが、享保3年(1718)から上移市が復活した。 正保2年(1645)の在々屋敷数家数人数によると、屋敷数107、家数226、人数519、茶屋3軒があった。 相馬への道の両側に町場が形成されており、上庄屋・下庄屋の他、酒屋・鉄屋・緑屋・吉野屋・質屋などの問屋を兼ねた在郷商人がおり、相馬藩領及び二本松藩領からの米穀類を始め鉄・塩・五十集物・茶・繭などの移出入品を扱っていた。 この船引町上移は、予定外の道路を走って見つけたもの。それは田村市都路町古道から川俣町に向かって、国道399号線を走っていて、放射能のため登館峠以北は通行止めになっているため、大きく迂回したときに通った道で見つけたもの。 トタン屋根の大型家屋が、平入りの商家風に建っていたり、街道からチョット引いて農家風に建っていたり、2重屋根の土蔵も点在する町並で、なかなか見応えある町並を構成していた。こんな辺鄙な所にも造り酒屋さんがあり、かって栄えていた証だと思いながらの探索だった。 角川日本地名大事典 角川書店 角川日本地名大事典編纂委員会 昭和56年 福島県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1993年 |
船引町上移の町並 |
船引町上移の町並 |
船引町上移の町並 |
船引町上移の町並 |
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船引町上移の町並 |
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