外ヶ浜町三厩龍浜(竜飛集落)の町並 
三厩龍浜(竜飛集落)
地図


三厩龍浜(竜飛集落)の町並み
 外ヶ浜町三厩(みんまや)龍浜は津軽半島の北西端の突端に位置する。一般的には竜飛集落と云う方が知られていて、目の前が竜飛漁港である。江戸期を通じて松前藩領。
江戸前期の郷帳類には三厩村の村名は見えない。正保2年(1645)の津軽郡之絵図でも村名は見えないが、航路が記されており、湊として機能していたようだ。
このように三厩村は早くから湊として重視されており、その立地条件から、松前・蝦夷地渡海の要地とされ、松前藩主の参勤交代や幕府巡見使の蝦夷地渡海の際にも利用された。更に、松前より買入れたニシン・サケ・数の子などの海産物を青森に送る中継地として重要視されていた。
さて、今回訪ねた津軽半島の北西端にある竜飛村は、三厩村でも西端にあり、江戸中期になっても道が通じて無いようで、江戸末期の嘉永3年(1850)の松浦武四郎の「東奥沿海日誌」によると、見張番屋へ泊まったが、2間四方の板張りの家で、ここへは三馬屋の勤番の足軽が、5・6・7の三ヶ月間、一人詰めておることになっているが、これも名ばかりでいつ来るか判らない。ここには13軒程の漁師の仮小屋があるが、漁猟よろしき時に来て、他は三馬屋へ帰るとのこと。また、三馬屋からここに来るのは、道らしい道がなく、岩によじ登ったり、岩壁伝いに行ったり、沢を行ったりと行路の困難さを伝えている。
明治初年の「新撰陸奥国誌」によると、上宇鉄から風泊・鉞泊・土場の沢を経て、蚊柱まで50間。この所に漁舎4軒あり、蚊柱崎・尻神・鳴神を経て、北11丁に兵路という字あり、漁舎10軒ある。
そこから木落・鎧島を経て竜飛崎なり、この処に漁舎30ありとある。
竜飛崎から津軽海峡を越える間の潮流は急流で、「東遊記」には三馬屋から松前迄は十里、竜飛崎からは七里であるが、松前に渡るのは皆三馬屋から渡る。竜飛崎から渡るのは大河のごとき流れる大滝を三つもかけるが如しとあり、その怖さを表している。
今は階段国道として有名になった所です。山の上の国道339号線と竜飛漁港まで通じている国道339号線を繋ぐのが漁村集落内の細い路地道と階段なんです。当然車は通れません。人が歩くだけですが、集落内の路地道は人が出違うのもはばかる程細い道です。
漁港の傍の車の通る広い道で、上の国道には階段国道で行くのは判るのですが、その取付の道は何処にあるのでしょうと漁網を補修していた漁師さんに聞くと、貴方が今立っているその赤く塗った部分ですと云われびっくりしました。これが国道と。
町並指数 30
参考文献   
  角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  昭和60年
  青森県の地名  平凡社  下中邦彦  1982年  
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