七戸町七戸の町並 
七戸
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七戸の町並

 七戸町は下北半島の付け根にある小川原湖に注ぐ七戸川流域に位置する。七戸町近くで倉岡川・作田川・和田川・大林川が合流して七戸川になり、小川原湖に注ぎ、高瀬川となって太平洋に流れ出る。
江戸期を通じて盛岡藩領。七戸通に属していた。
天正19年(1591)九戸の乱に際して七戸家国は九戸政実と組んで滅ぼされ、七戸家は断絶した。後に七戸城には南直勝が起用され第二の七戸と名乗った。以後直時。重政(重信)と続いた。寛文4年(1664)盛岡藩三代藩主南部重直が死去すると、七戸城の重信が四代藩主に抜擢され、七戸氏領は藩の直轄領となり、翌5年(1665)に七戸城内に代官所が設置され、七戸村以下24ヶ村の七戸通を管轄した。それ以後代官所支配が続くが、明治2年七戸藩が成立し、七戸城下を形成したが、明治4年廃藩置県により廃藩となった。
寛政年間(1789〜1801)の「邦内郷村志」には家数483とあり、町方は本町・横町・下町・小川町・新川原町・向町・袋町・南町・新町・川原町の十町で家数274。
享和3年(1803)の仮名付帳では家数378のうち町場は本町・横町・下町・小川町・袋町・浦町・南町・新川原町の八町合わせて183とある。
七戸村は藩政初期までは七戸城下として、藩政初期以降は代官所所在地として、早くから町場が形成されていたものと思われる。
奥州街道の宿駅でもあったため、呉服屋・薬屋・質屋・旅籠屋などが立ち並び、八の日に三斎市も開かれていた。
北奥路程記の絵図で見ると、町方は南から奥州街道沿いに小川原町・下町・横町・新町が並び、ほぼ中央から東に袋町が延びる。奥州街道の西には南から柳町・新川原町・南町・浦町・本町・袋小路が並び、東西に長い町である。
豪商も見られ、江戸中期近江商人の流れをくむ大塚屋をはじめとして江州屋・松阪屋・浜中屋・岩城屋・舟木屋などの豪商がいた。
古い伝統的な様式で建てられた家屋は、町役場を中心に周りに点在しているが、町並を構成するまでには至っていない。国道4号線がバイパスとして町並を大きく迂回して設置されたので、もっと多くの伝統的な建物を期待して訪ねたが、ちらほらと点在している程度だった。
町並指数 30

参考文献   
  角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  昭和60年
  青森県の地名  平凡社  下中邦彦  1982年  

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