七ヶ宿町滑津は宮城県最南端山間地帯、山形県と福島県の県境近くに位置する。阿武隈川の支流白石川の上流域で、その川沿いに七ヶ宿街道が東西に通り、その中程に滑津集落がある。 江戸期は仙台藩伊達一門石川氏の知行地として、明治維新まで続いた。その間仙台藩の最南端に位置し、軍事上・交通上重要な役割を果たした。 七ヶ宿街道は福島県の桑折(現桑折町)で奥州街道と分かれ、小坂峠を越え、上戸沢・下戸沢・渡瀬・関・滑津・峠田・湯原の七宿場を通り、金山峠を越えて上山(現上山市)で羽州街道の合わされる脇街道である。湯原から二井宿峠を越えて高畠・米沢に至る道もある。 この七ヶ宿街道は出羽13大名の参勤交代の通路であり、出羽三山詣の旅人や役人・庶民の往来で賑わった。又、山形置賜地方の城米の駄送や商荷物が盛んに行き来した。 これらの宿駅の人々の生業は、これらの旅人の旅籠屋や休み所としての煮売り雑貨屋と、城米や商荷物などの継ぎ立て人馬による駄賃稼ぎが主な収入源であった。 滑津宿の成立は、慶長8年(1603)に桜井五郎平衛が肝煎検断を命じられているので、このころに宿が形成されたと思われる。 滑津村の村高は天保期162石余。「安永風土記」によると家数32・人数210、馬15・牛5である。肝煎り検断は江戸初期より天保期までは桜井家が勤め、以後安藤家に代わった。 いま、七ヶ宿街道は国道113号線・県道46号線として現代でも重要な交通路である。そして滑津宿の安藤家の重厚な建物が当時の威容を伝えている。切妻破風の屋根を付けた堂々たる玄関の建物。でも町並そのものはあまり残っておらない。僅かな茅葺き屋根と茅葺きにトタン覆いの民家が点在していた位である。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和54年 宮城県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1987年 |
滑津の町並 |
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