札幌市の町並
札幌市街中心部
地図


旧北海道庁

 札幌市は北海道の中央部、石狩地方の中央西部に位置している。
江戸期はイシカリ13場所の一つで、サッポロ場所であった。商場知行地としては「しゃつほろ」とあり、知行主は小林兵左衛門・目谷佐仲・高橋嘉左衛門であった。「松前随商録」では上サッポロと下サッポロに分かれており、上サッポロは南条安右衛門の支配地で運上金16両。下サッポロは目谷才右衛門の支配地で運上金17両であった。
人数などは、上サッポロが18世紀末頃には15戸・50人、文化4年(1807)には187人、文化7年(1810)には194人、安政3年(1856)には20戸・79人と減少している。
下サッポロは18世紀末頃には30戸・73人、文化4年(1807)には119人、文化7年(1810)には191人、安政3年(1856)には5戸・26人となっており、文化7年をピークに減少している。
幕命を受けた近藤重蔵は東蝦夷地と西蝦夷地を結ぶイシカリ地方を蝦夷地経営の拠点とするよう提唱し、松浦武四郎は更にイシカリの中でもサッポロが建府の最適地と主張し、明治2年には本府建設に着手された。
札幌本府建設が本格的に行われるのは明治4年からで、開拓判官岩村通俊の主導で進められた。明治3〜4年には松前の商家を移住させたり、多くの道路が整備され、札幌北部を開墾し試験場が設置されるなど整備を急速に進めた。
当時の「石狩国地誌堤要」では札幌町とあり、戸数753、うち官宅104・平民649、人数は1,785人、うち官員12・官員家族18・平民1,755とある。同書では町数を46町としている。
明治15年開拓使廃止後も、札幌県庁が置かれ、同19年の北海道庁設置後は道庁所在地として常に北海道の政治的首都の地位にあった。
明治32年に北海道区制の施行により自治制に移行、大正11年市制を施行して札幌市となる。
明治32年の家数は7,009戸・40,578人。大正9年の第一回国勢調査では家数20,041戸・人数102,580人であった。
今 平成25年の人口は193万人余の大都会になっている。そんな大都会の中心部に明治初年〜明治末までに建てられた建物が数多く残っている。一番の圧巻は明治22年建築の旧北海道本庁本館の建物だろう。時計台として観光名所になっている旧札幌農学校演武場の建物は万人の知るところだ。また、サッポロビールとして名が知られている工場群も開拓使麦酒醸造所だった建物。クラーク博士の札幌農学校の建物も今は北海道大学となっているなど、札幌市は多くの観光施設を持つ観光都市でもある。          
町並指数 40
参考文献
    北海道の歴史散歩  山川出版社  北海道歴史教育研究会  1994年
    角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和62年
    日本の地名北海道  平凡社  (有)平凡社地方資料センター  2003年



旧札幌提訴院

北区北8条西1丁目の旧質舗

東区北7条東3丁目の町並

東区北7条東3丁目の元銭湯

東区北7条東4丁目の民家

東区北7条東4丁目の町並

サッポロビール博物館

旧サッポロビール第一工場

旧サッポロビール第一工場

中央区北1条東1丁目の教会

中央区北1条西2丁目の時計台(旧札幌農学校演習場)

中央区南1条西1丁目の民家
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