三戸町(2)の町並 
同心町・八日市・二日市
地図


同心町の町並
 2度目の三戸町探訪で、旧城下町の南部地域の二日町・八日町・同心町を歩いた。城下の説明などは、初回の説明などを見てもらいたい。

三戸町の中心は青森県の南東部、熊原川下流の河岸段丘に位置する。南部信直の城下町は同心町・二日町・六日町・八日町・馬喰町・在府小路町・久慈町・川守田町の8町で構成されていたが、天正19年(1591)居城は三戸から福岡城(現二戸)に移され、更に文禄3年(1594)に不来方城(後の盛岡城)に移り、三戸は城下町としての機能を失ったが、宿場町・在郷町としての発展を向かえた。
三戸村には奥州街道が通り二日町・八日町に駅場が置かれ月番交替で勤めた。
家数を調べると、「邦内郷村志」では二日町95・八日町88・同心町40。安政3年(1856)の「三戸通神社仏閣地名書上帳」によると、二日町110・八日町125・同心町46。明治初年の「新撰陸奥国誌」によると、二日町211・八日町194・同心町117とある。
慶長〜寛永年間(1596〜1644)に家臣たちが次々に盛岡に移住したため、奥州街道筋には商家が建ち並び、二日町と八日町で8の日の三斎市が立っていた。八日町に続く同心町では奥州街道から分岐し、秋田方面に向かう鹿角道(秋田道)が西に延びていた。
旧奥州街道沿いに古い町並が展開していた。平入・切妻造り・トタン屋根・2階建ての伝統的な建築物が建ち並んでいる。中でも二日町の町役場辺りは見栄えがする民家が連なっていた。
町並指数 40
参考文献   
  角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  昭和60年
  青森県の地名  平凡社  下中邦彦  1982年  

八日町の町並

八日町の町並

八日町の町並

八日町の町並

二日町の町並

二日町の町並

二日町の町並

二日町の町並

二日町の町並

同心町の町並
古い町並みへ戻る