会津坂下町塔寺の町並 
塔寺・多気宮
地図


塔寺の町並
 慶長16年(1611)の会津大地震で越後路の通路が変更になり、気多宮は宿場に塔寺と坂下は宿場駅所となった。
塔寺は江戸期を通じて会津藩領で、寛文5年(1665)の万改帳で家数89軒・人数445人。主な産物は米・麦・豆・芋・栗・稗・タバコ・麻・ゴマ等だった。村民の多くは旅籠屋や駄賃稼ぎをしていた。化政期(1804〜30)の家数88軒。
慶長16年の会津大地震で、越後路の勝負沢峠が山崩れのため通れなくなったので、会津藩(藩主蒲生秀行)は急遽鐘撞堂峠を開削して、気多宮・塔寺・坂下を通る道筋を越後街道として整備した。気多宮は宿場・塔寺・坂下は宿場駅所となった。
今、町並は伝統的な店蔵や大壁仕立ての妻を見せた家屋が、僅かに残っているだけで、かっての宿場町の面影は殆ど残っておらなかった。
町並み指数 30
参考文献
  角川日本地名大事典  角川書店  角川日本地名大事典編纂委員会  昭和56年
  福島県の地名  平凡社  (有)平凡社地方資料センター  1993年
  福島県の歴史散歩  山川出版社  福島県高等学校社会科研究会  1990年


塔寺の町並

塔寺の町並

塔寺の町並

塔寺の町並

多気宮の町並

多気宮の町並
古い町並みへ戻る