留萌市の町並
明元町
地図
留萌港(明元町)の石造り倉庫群
留萌市は北海道北西部、留萌地方南部の留萌川河口の留萌港を中心に市街地が形成されていて、明元町はその港に面した町である。 江戸期は西蝦夷地のうち、ルルモッぺ場所に属し、留萌はそのルルモッぺ場所の中心であった。ルルモッぺ場所の開設は松前藩が知行場所区画を設定した慶長年間(1596〜1615)といわれ、寛永11年(1634)松前景広が最初の知行主となった。場所請負人制度が登場したのは享保年間(1716〜36)以降で、近江商人の岡田弥三右衛門がアイヌとの交易を行い、その産物を売りさばいていた。漁業を主体とする本格的な場所経営をはじめたのは村山伝兵衛家で、従来のアイヌとの交易とともに鮭漁を中心とする漁場開発に力を注いだ。その後、天明7年(1787)場所経営は6代栖原屋角兵衛となり10代栖原屋角兵衛に至る85年間にわたって場所を経営し、ニシン漁主体の経営に移行して飛躍的に発展した。 明治に入り場所請負制度が廃止されたが、ニシン漁は活況を極めていた。明治15年頃までは越冬者は少なく、漁期中のみの居住者が多かった。明治20年〜35年、主産業のニシン漁が最盛期を迎えると同時に、農地への入植者も相次ぎ、内陸部の開発が急速に進む一方、大和田炭鉱が開坑した。明治30年代には家数987・人数2,421と増加し、それに反映して商業も進展した。 明治20年から調査が進められた留萌港の築造は明治43年に着工され、昭和7年に港湾の全ての工事が完了した。そして昭和11年国際貿易港に、同27年には重要港湾に指定された。 今、留萌港に残る石造りの倉庫群もその当時に建築されたものと思われる。妻入りの石造り倉庫が港の沿って建ち並ぶ光景はなかなか見応えある光景であった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和62年 日本の地名北海道 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 2003年 |
留萌港(明元町)の石造り倉庫群 |
留萌港(明元町)の石造り倉庫 |
留萌港(明元町)の石造り倉庫 |
留萌港(明元町)の石造り倉庫 |