奥州市江刺区の町並 
中町・川原町
地図


中町の町並
 奥州市江刺区では、滋賀県の長浜市や彦根市に倣って、新しい土蔵が建ち並ぶ古い町並を造り出している。
この地は天正19年(1591)伊達政宗に与えられ、それ以降明治維新まで仙台藩62万石の北端の郡として統治された。盛岡藩との藩境の地帯にあり、その防衛のため片岡村岩谷堂要害を中核として藩境防衛体制を固めた。岩谷堂要害(城)には万治2年(1659)岩城宗規が封ぜられ、他に仙台藩直属の給主11名と足軽120名が配置され藩境の治安を警備にあたった。
片岡村の中心は岩谷堂町(宿)で江刺代官所が置かれ、町場をなしていた。明和9年(1772)の家数400(封内風土記)。「安永風土記」によると家数412、家中143、足軽87。人数2,785であった。岩谷堂町には雑穀蔵・買米蔵(3ヶ所)などが置かれ、伝馬所・旅人宿などもあった。
岩谷堂町の町割りは、代官所前の横町を中心として、問屋町である川原町が東に、中町・一日市町が南に、六日町・銭鋳町が西北に長く続いた。他に新町がありこれらの町は岩月堂町7町と称された。
仙台城下で仕入れた商品は、北上川水運によって当地に運ばれ、気仙街道・東山道・浜街道などによって広く売りさばかれた。岩谷堂町一日市町・六日町では市が開かれたが、中でも馬市は盛大であった。
明治に入り領境の障害が取り払われると、旧盛岡藩領への交易が自由になり、岩谷堂町問屋は物資の流動が活発になって大いに潤ったが、鉄道の開通と北上川の架橋により、この地の商業の中心は水沢に移っていった。
今、江刺市では岩谷堂を中心に、滋賀県長浜市をみならって黒壁ガラス館ほか新しい蔵を造り町並整備に力を入れていた。
町並指数 30
参考文献   
  角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  昭和60年
  岩手県の地名  平凡社  (有)平凡社地方資料センター  1990年
  東北小さい町小さい旅  山と渓谷社  山と渓谷社大阪支局  2003年
  日本の町並V  平凡社  江田修司  2004年    

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