奥州市水沢区の町並 
水沢区(川口町・立町・大手町5丁目・吉小路・大町)
地図


水沢区立町の町並

 奥州市水沢区は岩手県内陸部のほぼ中央、南流する北上川中流域に位置する。
江戸期は仙台藩領、水沢伊達(留守)氏水沢城(要害)主支配。
天正19年()1591葛西一揆は伊達政宗によって鎮圧され、葛西大崎領は伊達氏の所領となり、仙台藩領と確定した。寛永6年(1629)伊達政宗の叔父留守宗利が水沢城に封じられた。水沢伊達宗利と改名し初代城主となり、以後12代治世が続き明治を向かえる。
宗利が移封されて本格的な近世城下の建設が始まった。大手・搦手・川原・吉・新・日高小路などの家中武家屋敷、奥州街道沿いに袋町・横町・大町・柳町・立町・新町の6町が商人町・職人町として整備された。
只、水沢町と称されるのは町場の6町であるが、地籍上は塩釜村に属し、奥州街道の水沢宿として存在し、水沢町の地名は見えない。
立町に雑穀御蔵・御買米御蔵・、大町に御買米御蔵があった。水沢宿の業務は主に横町・立町・大町の3町が分担した。本陣2軒は立町に置かれ、外陣屋と称された。
水沢宿の家数は寛永18年(1641)241・安永5年(1776)374、嘉永3年(1850)394と増加している。
北上川舟運も活発に活動し、江戸初期には八幡村の船止場が拠点であったが、寛永初年に安土呂井・瀬台野・姉体・黒石・小谷木などに河岸が開かれ、物資の交流が盛んとなり、多くの物資が移入され、また水沢地方特産の米・鍋・釜・漁網が移出された。
中でも鍋・釜と漁網はこの地の特産で一大産地を形成していた。また、馬の生産も盛んで、袋町・立町などで馬市が開かれ多くの馬の取引があった。
今、立町・大町などに古い形式の伝統的な様式の建物が点在し、奥州市役所近くの大手町や吉小路・日高小路などには武家屋敷の面影を残した町並がある。
大町の町並を歩いていて、小さな川沿いに土蔵が3棟並ぶ所を見つけ、かっての繁栄を見た感じで、嬉しく町並み探訪を締めくくった。
町並指数 40
参考文献   
  角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  昭和60年
  岩手県の地名  平凡社  (有)平凡社地方資料センター  1990年  

水沢区川口町の町並

水沢区立町の町並

水沢区立町の町並

水沢区立町の町並

水沢区大手町5丁目の町並

水沢区吉小路の町並

水沢区大町の町並

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