大河原町の市街地は、宮城県南部、阿武隈川支流の白石川下流域左岸に位置する。 支配関係は仙台藩の蔵入り地、船岡の柴田蔵人の給地、川崎の伊達織部など家臣の知行地となっている。「封内風土記」の家数196。苅田・柴田代官所が置かれ、柴田郡南方大肝煎会所や藩のお蔵などもあって地方藩政の核をなしていた。 御殿と呼ばれる仙台藩の御仮屋は新田町にあり、藩主の参勤交代の際宿泊・昼食の場になっていた。 奥州街道の宿場町として賑わいを見せ、仙台からの距離が10里程と、丁度一日の行程にあたり宿泊客も多かった。毎月3と8の日には六斎市が立った。上町・本町・新田町の3町で構成されいて、宿は寛文年間(1661〜73)に宿場町としての形態がほぼ整えられた。 町人の商業活動も活発で、生糸問屋の須藤屋、紅花の高橋屋、煙草の村上屋などが著名である。 明治維新後、紅花は化学染料の輸入により生産が減退し、宿も衰退していった。 明治17年頃の宿駅の規模は東西25間・南北9町、奥州街道にかかる西口より北口まで11町、道幅4間で、新町・上町・本町・新田町があり、家数207・人数1997とある。 奥州街道の宿場町と云うことで訪ねたが、古い町並は殆ど残って居なかったが、所々に伝統的な様式で建てられた、土蔵造りの商家建物が見られる。白漆喰で塗り固められた重厚な家屋だが、この度の東北大震災の被害で多くの家屋が修理中だった。壊れて取り壊された家屋もあっただろうと思う探訪だった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和54年 宮城県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1987年 |
町の町並 |
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