小野町小野新町は福島県東部、夏井川支流の右支夏井川の中流域に開けた町である。 近世初めは白河藩領、寛保元年(1741)幕府領、延享4年(1747)常陸笠間藩領、安永6年(1777)幕府領、同7年(1778)盤城平藩預り地、寛政3年(1791)からは常陸笠間藩領。 村高は「天保郷帳」「旧高旧領」ともに1,330石余。 中世から浜通りと中通りを結ぶ盤城街道の要衝として発達し、小野新町には町場が形成され、当地一帯の経済・文化の中心をなした。 元禄元年(1688)の家数村高給人書上写によると、新町・大蔵作村の合計高1,190石余、家数は新町180・大蔵作村27。在郷町として発展し、元禄4年(1691)には本町・横町・荒町・仲町があり、他に反町も成立していたと推定されている。天明8年(1788)の御巡見使御案内帳によると家数190・人数798、馬52。天保9年(1838)の家数198・人数825・馬108とある。 正保年間(1644〜48)に本町1日・16日、中町6日・21日、新町11日・26日の六斎市が開かれ、以降当地の六斎市は近郷の商取引の中心地となった。江戸時代中期には米市が開かれ、ここでの10月の相場は竹貫村・棚倉村・石川村での米相場になり、白川・石川・田村3郡の年貢金を決定する基準米価とされた。 なお、延享2年(1745)には13軒の造酒屋があり、造酒高196石であったであった。煙草仲買人は12人いた。 そして明治期の農業の中心は養蚕・葉煙草栽培・馬産であったが、大正期には葉煙草栽培が養蚕をしのいだ。馬産の最盛期は軍馬の需要が多くなる昭和初期で、町内に馬市が立ち、取引額は県下でも指折りであった。 古い町並は盤城街道に沿って展開しているが、あまり古い形式の家屋が見当たらない。平入り、妻入りの古い形式の建物が僅かに残っている程度の町並だった。 角川日本地名大事典 角川書店 角川日本地名大事典編纂委員会 昭和56年 福島県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1993年 |
小野新町品ノ木の町並 |
小野新町品ノ木の町並 |
小野新町仲町の町並 |
小野新町仲町の町並 |
小野新町仲町の町並 |
小野新町仲町の町並 |
小野新町横町の町並 |
小野新町荒町の町並 |