二本松市太田白髭は中通り北部、阿武隈山地西斜面の起伏にとんだ丘陵地帯、口太川の流域に位置する。 江戸期は上太田村といい、はじめ会津藩領、寛永20年(1643)からは二本松領。村高は宝暦10年(1760)の高辻帳で1,505石余、「天保郷帳」1,617石余、「旧高旧領」1,617石余。享保年間(1716〜36)の家数339(積達大概録)。慶応2年(1866)の人別改帳では家数284・人数1,033であり、白髭組は家数27軒・人数154人であった。 当地を奥州西街道(相馬藩では西海道、二本松藩では相馬海道)が通り、白髭に問屋が置かれていた。この奥州西街道は宝永年間(1704〜11)に整備され、その時に白髭問屋も設置されたものと思われる。 相馬藩主が参勤交代に数度利用したことや、問屋で扱った荷物・数量・荷主・運搬人等が記載された記録が残っている。荷物は相馬塩・仙台塩・斎田塩・にしん・昆布・するめ等である。参勤交代時には佐藤家が本陣を勤めていた。 今町並を歩いても、宿場当時の面影は残っていないが、養蚕が盛んだった名残の大型の家屋が多かった。土蔵も多く残り、本陣の看板をあげた佐藤家では、土蔵が二つ並んでいた。 角川日本地名大事典 角川書店 角川日本地名大事典編纂委員会 昭和56年 福島県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1993年 |
太田白髭の町並 |
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